NHK「当事者が研究者」を見ました。

 

 ※ ちょっとレポート調です。

 最初、身体障害者等の障害者を「当事者」としている、非常に狭い概念なのだと認識していた。
 しかし、刑務所における研究の場面では、研究者は薬物中毒の過去を持ち、累犯障害を持っていた過去がある中で、その研究者が「当事者」として、刑務官を研究しており、「当事者が関わる研究」であると認識を改めることができた。
 研究テーマを刑務所とするならば、受刑者が当事者であるのと同時に、刑務官とて当事者であり、あらゆる人が「当事者」として、自分のあり方や業務を「研究」し、より良くしていくことが「当事者研究」なのだと気がついた。
 当事者の多くは受動的な経緯によってその境遇となる。しかし、研究者は自分の意思によってそうなる。当事者が研究者とは、受け身だった当事者が自分の意思によって研究者になる、受動から能動になる、という過程であり、研究を通したリハビリテーションであり、リカバリーに一つでもあるのだと考えた。確かに研究という方法をとらなくてもリハビリテーションやリカバリーは可能だが、それらは往々にして当事者個人の、ミクロの利益のためになりがちである。もちろんそれはそれで良いのだが、研究とはつまり人類の知への貢献であり、社会に対するマクロな利益である。つまり一つの研究活動が一石二鳥の利益をもたらし、それこそが当事者研究の最大の利点なのだと考えた。
 番組は東京大学で活動する、ある意味でパワーのある研究者が多く登場していたが、東京大学であるという特別性に捕らわれてしまえば、その可能性を損なうと考えた。本当に着目するべきは、当事者研究によって発見、表出される視点と価値観、それを起点とする研究と知であると考える。つまり、東京大学”だから”ではなく、東京大学”から”始まる取り組みだと考えることが必要なのだと考えた。前述の通り、当事者研究は水平的に取り組みを拡大するべきものであり、活動を望む多くの人が行っていくべきだと考えた。
 研究室のリーダーの方は「当事者の枠を広げる」「連携先を広げる」と当事者研究に関してコメントしていたが、当事者が持つ知って欲しい、という拡散性のある思いが「研究」に対する強いベクトルとして機能しており、それこそ、社会開発に繋がるのだと考えた。
 番組では東京大学、という研究を行う為に最適化された場所が舞台だったが、地域において当事者研究を行う場合、様々な場面で支援が必要になるのではないかと考えた。社会福祉士や精神保健福祉士は地域においてそうした支援へのニーズを適切にキャッチし、志を同じくする人同士を結んだり、自治体への協力を要請したり、といった活動を行うべきなのではないかと考えた。発想を転換すればこうした先進的な取り組みに対する支援を行う専門職及び社会資源は他になく、個々のワーカーが当事者研究という概念、選択肢を常に持っているべきだと考えた。
 また、それによって、ワーカーが当事者となる分野の研究が行われることも考えられ、当事者研究を呼び水として福祉に関する研究を促進し、日本における数多の社会問題に対する知見を深めていくことが、日本の持つマクロ的な問題への対処にも繋がっていくのではないかと考えた。

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